禅は、軍隊やブラック企業と相性がいい? 服従のプロセス、僧堂。
いじめを生む僧堂 - いじめを生む僧堂 -理不尽と暴力の禅寺-
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僧堂で行われることは服従のプロセスである。
その服従のプロセスは軍隊と共通するところがあると、ブライアン・ヴィクトリア『禅と戦争 禅仏教の戦争協力』*1は指摘している。
また、戦後の今は企業禅としてブラック企業に都合のいい労働者を育てるために援用されているとも。
服従の第一段階 入門
服従のプロセスはその入門から始まる。
たとえば、一人の修行僧が禅寺での修行を希望したとき、彼は何時間も、ひいては何日間も寺の入口で低身の姿勢をとる。その寺を希望したわけを尋ねられれば、その答えは、「何もわかりません。どうかよろしく……」という以外はない。なぜそのような返答をするかといえば、その修業僧の心は白紙のごとく、いかようにも彼の上長によって塗りかえていただいて結構というわけである。もしその雲水が、先のような返答をせず、ただ理屈を述べるならば、心が白紙になるまで肩が腫れるほど叩かれつづけることになる。*2
この一連の儀礼は、外では通じない僧堂独特の村社会、村ルールに新人を染めるためにはとても有効に働くだろう。本人はそういう儀式だから、形の上のことだから、とその流れに乗ってしまうが、これが服従の第一段階なのである。
ブラック企業との類似 小さな理不尽から始まる服従への道
これはいわゆるブラック企業でも、この服従の第一段階はよく目にするところである。
たとえば、小さいところで言えば、ブラック企業が新人研修と称して、指導教官やあるいは親などに感謝の手紙を書かせるのもその一環である。
強制されて感謝の手紙を書くなんて「おかしいな、でもあほらしいけど逆らうのも面倒だしさっさと済ましちゃおう」
なんて思ってしまうが、この“小さな理不尽”を受け入れることがが服従への第一歩である。
僧堂のそれは、より直接的であるが、仕組みは同じ。
「何もわかりません。どうかよろしく……」
何もわからない、なんてわけないのであるが、そういう“儀式”だからとその“理不尽な流れ”に沿ってしまう。
これが村ルールに染まる第一歩なのである。
「自己否定」の肯定 服従の完了
入門が許されたとして、すべての者が彼の目上の者となり、たとえ入門が数時間の違いであっても、食事の際も整列の際も、すべてが入門順位。それがある程度の支配権利でふるわれていく。一、二年の修行を経た先輩格の雲水は、新入りの雲水にとっては雲の上の人に見えてしまうのである。
彼らは警策をふるのみならず、新入りの作業状況の善し悪しまで判断する。そして上質の色つきの衣を着て、より広い部屋で寝起きが許される。
(中略)こうして見れば、禅寺の生活と訓練様式は軍隊でのそれと、あきらかに共通性があることがわかる。*3
理不尽な上下関係が管理・服従に都合がいいのはアウシュヴィッツ*4などを見てもわかる。
これを通じて、気づく頃には村ルールを受け入れて、もし不満があっても悪いのは自分だと自罰的になっていく。自己否定である。
『禅と戦争』はこう綴る。
得元*5はよりよい社会人となるには自己否定、つまり無我の境地を主張、それはかつて大拙や祖岳が「よき兵士」であらんために自己否定を主張したことと共通するものがある。(中略)明治以後は天皇を中心とする中央集権的な政府とその政策に忠誠心を求められた。戦後には、その対象は自分たちの会社とその利益にとってかわった。*6
人権侵害発生装置
僧堂は個をなくす場である。そこに宗教的意味を見出し、肯定的にとらえることもできるかもしれない。
しかし、装置として、僧堂は軍隊やブラック企業のそれととても相性がいい。いくら宗教的意味をもって肯定的にとらえたとて、この人権侵害発生装置となりうるシステム的欠陥から目を背けてはならない。別の肯定的意味があります、では反論にならないのだ。
あるOBの主張とその矛盾
ある僧堂OBは、僧堂システムの問題点を訴える私に対し、そのような拘りを捨て「自己否定」することが大切だと説いた。
曰く、これまで自分がまとってきたものを脱ぎ捨てることで、自由を得、新たな道へ進める、とのこと。
なるほど、カウンセリングに携わる者として一定の理解はできる。
カウンセリングも、傾聴を通して、自分の固定された準拠枠に気づいてもらい、その枠から抜け出すことをゴールの1つ*7とする。しかし、それは強制的なものではない。自力で気づいてもらうものだからこそ意味がある。
強制的に「自己否定」を迫ることの問題は上述してきたとおりである。それが権力構造に都合がいいことも。
そして、このOBはまさにそれを体現してきた。
具体的なやり取りは省略するが、やり取りを続けるうちに高圧的になってきた。自らの立場の強調や、“老大師”は“僧堂師家”という立場であり、あなたは“〇〇寺徒弟”という立場であるなど。
「自己否定」を肯定している割に、何も脱ぎ捨てていない、“立場”なるものをまといまくっている様をまざまざと見せてくれた。
上述した得元や鈴木大拙が「よき兵士であらんために自己否定を主張した」ことと全く同じことである。兵士には自己否定させ天皇を中心とする政府・軍に忠誠を強制しながら、自分の側は自己否定どころかより“立場”を強調する。
「自己否定」を肯定するならば、まずは自分自身が座っている玉座から降りて一個人としてコミュニケーションをとるところから始めるべきであると考えるが、少なくともこのOBはこの有様であった。
このことからも、僧堂の語る「自己否定」が如何に詭弁であるかがわかると思う。その詭弁ぶりはやはり軍隊やブラック企業を想起させるものであり、僧堂の、ひいては禅寺の矛盾がまざまざと見て取れるのである。
*1:ブライアン・アンドレー・ヴィクトリア著(エイミー・ルイーズ・ツジモト訳)『禅と戦争 禅仏教の戦争協力』(えにし書房、2015)
*2:ブライアン・アンドレー・ヴィクトリア 267-268頁
*4:収容者を格付けし、収容者内に上下関係を作り出すことで管理を容易にした。
*5:酒井得元。「誠実とか赤心とか『まごころ』ということは、我々が自分の全てを投げ捨てて絶対奉仕する心情であり行動である」と語っている。 ブライアン・アンドレー・ヴィクトリア 270頁
*7:無論、あくまでゴールの1つである。決めるのはクライエントである。自身の準拠枠に気づいたうえでそれに拘り続けるのもクライエントの自由であるし、気づかなくても問題はない。あくまでゴールの典型例の1つである。